「ねえねえ、英二さあ、
 お酒っておいしいね。」

「…そだネー。…はぁ。」

英二がため息をつくと、まるで子供があやされた時のように楽しげな声をあげて、不二は笑った。
ついでに、手元にあったグラスの中身を、一気に飲み干して。

「あーあー…もう飲んじゃ駄目だって、おまえさ。」

「まだ飲むよ。だってまだあるじゃない。」

一見真面目に、しかも酔っ払ってるようには到底見えないのでそこがまた問題だ、と英二は思った。
不二はべろべろに酔っ払っても、頬が赤くなることも、ふらふら歩くこともない。
言動がおかしいのを除けば、普段と変わらない。
だから厄介、だ。

「お酒はまだあるよ、けどね、君がそんなに飲むとは思わなかったんですよー。
 これは俺用。不二はもう飲んじゃだめ。…聞いてますかね。」

本当に、子供に何かを教えるようにして英二は言った。
目線を同じ高さにして、声は努めて優しく。難しい言葉は使わないように。
それでも、子供のほうに聞く気がなければ意味がない。
不二は軽い足取りでベッドに近づくと、そこに寝ていた大きなくまのぬいぐるみを胸に抱き寄せた。

「わーいふかふか。ふふ。

満足そうに笑っていたかと思うと、次の瞬間には、
「くらえ、白鯨!」

とかなんとか言いながら、右ストレートをぬいぐるみにぶちこんだりしていて、それ白鯨じゃないでしょと突っ込みながら英二はまたため息をつく。

「白鯨だよ。白鯨は、トリプルカウンターのうちのひとつでね。」

また急にきりっとした顔つきになったかと思えば、ひとつでね、と言ったところで本当におかしそうに笑い転げて、

「わかったわかった。どうせ今日泊まるんだからさ、もう大人しくしてて。」
「うん。大人しくね。」
今度はまた酒のほうに興味が移ったらしい。
度数の高いものは、最初のうちに二人で飲んでしまった。
今は残っている缶チューハイに、持参のねりわさびをトッピングして楽しんでいるようだ。

(酔っ払いの典型というかなんというか…。)

兄から譲り受けやっと一人部屋になったそこでも、二段ベッドの下は荷物で埋もれていたので、英二は押入れから布団を出して敷き始めた。
缶やら瓶やらコップが所狭しと乗った台を上手く不二と一緒に端に寄せて、形だけは一人そこに寝かせることの出来るように。

いつものお泊り会。部活もなくなって、暇だね、じゃあ家おいでよ、ゲームやろうよ、
と最初は言っていたんだけど、な。
気付けば部屋に隠しておいた酒が、誰かの仕業で(どうせ下の兄だ)とてもわかりやすいように部屋の壁に沿ってぐるりと並べられていた。

親が日に何回も出入りするのに、見つかったら怒られるのは俺なのに、まあ買ったのも俺だけど、
そんな事を思いながら、とりあえず体を繕おうと「インテリアなんだ」と言ってみたりして。その時の不二の顔といったら。

ああ、そこで、妙なきまずさを紛らわそうと「じゃあ今日は飲もうよ」と言ったのは自分だったっけか。やってしまった。
「不二くん。もうお休みの時間ですよー…。」

半分自棄で不二に話しかけると、寝巻き代わりに着ていた自分のTシャツの中にそろそろと引っ込んでいく。

「亀じゃないんだから、…はい、立って、すぐ立って、こっち。」
えーとかあーとか抗議の声らしきものをあげる不二を2メートルも離れていない布団までひきずるのに結構な時間を要した。
人というものは重い。特に、酔っ払いは。と英二は勝手に思っていた。

「まだ寝たくないんですけど。」

既に布団を掛けられて、枕に頭を預けた状態で不二は言った。
部屋を片付けようと立ち上がった英二は、ジャージの裾を掴まれて転びかけた。

「もう二時だからさ、明日にしよう。明日また飲めばいいじゃん。ね?」

よしよしと、俺いつから保父さんだっけと思いながら、頭を撫でて、
それでも離してくれなかったので、とりあえずはその場に座り込んで、不二が眠るまで待つことにした。

普段の不二からでは勿論想像のつかない姿だ。
…案外こっちが本性かも。
色々ぼんやりしていたら、布団にもぞもぞともぐりながら、不二が何か呻いた。

「…、たい。」

「なに?」

「テニス。」

この三年間何回も口にしたし、聞いたし、実際にやってきたその言葉。

「テニスがしたい。」
「はあ。」

俺もしたいよ、明日ね、明日。そんな風に聞き流そうとしていたら、不二はつらつらと、英二が何か言おうとする前に続けた

「今じゃなくていいんだよ。明日でも明後日でも。
 英二とテニスがしたい。」
「手塚とも、越前とも、大石とも、桃と、海堂とタカさんと、乾と、」
「英二は、高等部でもテニス続けるの?」
「他のみんなは、」
「越前は、僕よりも強くなるのかな。」
「プロになりたいんだっけ。」
「なれたらいいよね。僕は、」
「みんなと一緒に、テニスをしていたいよ。」



息つく暇が、あったんだろうか。
そこまで本当に一気に話して、それから不二は少し黙った。
次に言う言葉を考えているのか。英二は、驚いて、というよりも、
不二がとても寂しがっているのではと、気付いた。

そんな素振りはあまり見せない彼だった。
部活の打ち上げの時だって。
一年と二年に二言三言話して、レギュラーにだって、そこまで深く突っ込んで聞いたりはしなかった。

彼なりの、強がりだったのかもしれないし、普段一緒にいる自分さえも、気にしていなかった。
高等部に行っても友達だよ、なんて類の言葉がいる程浅い仲では無かったけれど、
不二が無意識に隠したがっている弱さや小さな事を、無闇に見聞きしようと英二はしなかった。
それが、優しさだし、友情だと、思っていた。
「酔ってるね…。」

なんだか言葉に詰まって、そんなことは分かりきっているのに、他に何も言えなかった。

「言えるんだよ…。」

最後の方は、殆ど呟くようで、英二にはよく聞こえなかった。同じように寝転んで、彼のほうに耳を向けた。

「酔っ払ってるから、…勝手なことが、言えるの。」
「自分の、…言いたい ことが」
「朝には、忘れてるよ。英二も…」

ただ布団からはみだしているだけだと思っていた手が、すっと伸びて、自分の手を掴んで、割と強い力で引き寄せた。
特に固くなっていたわけでもなく、あっさり布団にひきずりこまれた。

「英二。」

まっすぐに目を見て、不二が言った。

「ここに、いて。」
それだけ言い終えると不二は目を閉じて、手を握ったまま顔を伏せた。

なんだかよくわからないまま、英二は布団の中で縮こまった。
握られた手を振りほどくことも、強く握り返すことも出来ずに。

明日の朝起きた時、結局はどうなるんだろうか。
不二は本当にこのことを忘れているのだろうか。
自分は、このことを忘れられるのだろうか。
握られた、手の感触も全部、含めて。
近くにあった体温も、呼吸も、
息苦しくなるほどの寂しさも、全部。
忘れることが友情なら、
卒業までの、短い期間。
脆くて、一見明るい友達関係を続けよう。







これが恋だと、一切気付かないフリをして。