その手を離さないで
「…っ、くそ」
人というものは重い。それも、あがる意思のないのは特に。
ろくに息もつけずに引き摺りあげた兄をどうにか地面に着かせた。
腰を下ろしたまま崖の下を見下ろすと底は、深く、暗く、遠く、
地獄にでも続いていそうな、漆黒。
巨大な女神像を打ち砕いて、空に放たれた邪が残していった魔力の残骸が、
毒の霧のように渦巻きながら、瓦礫の山の辺りで霞んでいる。
「…」
(これでも、聖職者か)
神に祈り、従順を誓い、貧しい者を助け
隣人を愛すとかぬかしやがってと常日頃から思ってはいた。
神に祈ったところで、何も変わりはしないということも、
「…逃げんのか」
「…逃げなどしない」
息切らし走った先に必ず欲しいものがあるとは限らないということも
小さな憂鬱も、壊せない現実も、同じ歩幅でついてきてしまう事を知っていた。
不意に立ち上がる兄の背中が、泥に塗れて情けなかった。
見上げながら、青黒く光る空の城を目の端で捕らえて。
こんな時でさえ、お前は一人で歩こうとするんだな、と口に出せず思いながら。
「…俺を助けたこと、…いずれ後悔するぞ」
血の滲んだ肩口を覆う白い手袋が見る間に赤く染まってゆく。
吹き飛んだ時に痛めたのか、ずるずると足を引き摺って
汚れた衣服の裾が泣けるほどずたぼろになっていた。
何処に行くのか、
誰を頼るのか、
その怪我どうすんの?
なあ、
軽口叩いて聞けるものなら聞いてみたかったけど。
瓦礫につまづいて、よろめいて、
啜り泣きと壊された城壁から吹きすさぶ砂煙が彼を覆い隠していった。
見えなくなる汚れた青を、仲間に急かされても追いかける気にはなれなかったのは。
それでも、満身の力を込めて、握ったその指先に
祈って叶うことがあるなら、とっくにそうしてる
十字を切ってもなにも報われないけれど、せめて
闇からあんたをひきあげたこの手くらいは
神に護られてるって思ってもいいかもしれない。
だからもう少しだけお前の弟でいさせてくれよ
せめて、この手が泥まみれになって、朽ちるまで。